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【星野仙一監督すい臓癌で死去】経歴や妻娘、すい臓癌有名人一覧も!記念館写真もあるよ

星野仙一 - Wikipedia 2008年3月に岡山県倉敷市に開館した、星野仙一記念館の入り口(2008年6月)

 2018年1月6日、突然の星野仙一監督訃報に驚きを隠せませんでした。

 2018年1月4日に死去されたとのこと。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 星野さんの訃報を受け、「すい臓癌」について、星野仙一監督の生き様、癌と闘病中、死因が癌の芸能人は?という視点でまとめました。

 

【目次】

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【星野仙一監督すい臓癌で死去】訃報内容 

●楽天の球団副会長を務めた星野仙一さんが4日、70歳で死去した

●突然の発表になった理由は、本人の意思だったと球団は説明

●常に強気を貫いた本人のスタイルを最後まで全うしたという

星野仙一さんの死去 突然の発表となった理由は「強気を貫いたスタイル」 - ライブドアニュース

 

星野仙一氏死去 死因はすい臓がん 楽天が発表「最期は昼寝でもしているような安らかな表情」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

【巨人】星野仙一氏死去に長嶋茂雄終身名誉監督「あまりにも突然の事で本当に残念」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

マー君、恩師・星野氏の訃報「信じられない」 米挑戦後押しに感謝 日本一は「大切な思い出」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 

【星野仙一監督すい臓癌で死去】経歴、生き様、歴史、野球人生

 星野仙一さんのウィキペディアより、監督の経歴や生き様がうかがえる箇所をピックアップします。

●概要

星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - 2018年1月4日[1])は、日本の元プロ野球選手・監督、野球解説者。

岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)出身。選手時代のポジションは投手。2015年より株式会社楽天野球団取締役副会長に着任。2011年から2014年まで東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督も務めた。

●プロ入りまで

明治大学時代は監督・島岡吉郎の薫陶を受け、卒業後も「オヤジ」「明治大学野球学部島岡学科出身」と慕うなど、その後の人生に大きな影響を受けた。島岡からは「命懸けでいけ」、「魂を込めろ」、「誠を持て」の3つの教えを徹底的に仕込まれたという[5]。

●プロ選手時代

 1968年のプロ野球ドラフト会議で、水原茂が監督就任したばかりの中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。

1982年、自身2度目のリーグ優勝を機に現役引退を決意。

星野は著書の中で「プロのピッチャーとしては200勝に到達できない二流の成績で終わったが、気持ちと気迫と気合いだけは誰にもひけをとらなかった思っている」と記している[10]。

引退の際、マウンドへ花束を届けに行ったのは親友である歌手の小田和正だった[11]。

 ●引退後

 中日監督時代

1983年から1986年までNHKで野球解説者、日刊スポーツ[16]、Number[16]の野球評論家を務め、1985年にはNHK総合テレビ『サンデースポーツスペシャル』の初代司会者へ就任[要出典]。

球団からの監督要請を受ける時、「召集令状がきた」と感じたといい[18]、「笑ってください」と注文をつけてきたカメラマンに対し「これから戦場へ行くのだ。笑えるか」と真剣に怒ったというエピソードが存在する[18]。

選手を怒鳴りまくりプレッシャーをかけ、星野曰く「俺のプレッシャーに負けるような奴が、ここぞの時に踏ん張れるか、そんな奴は要らねぇ」と述べている[25]。

1991年限りで「健康上の理由」(表向きの理由であり、実際には夫人の白血病発症が大きく関係していた)で辞任。

1995年9月20日に中日への監督復帰が発表され[32]、同年オフに再任。第二次政権1年目は前年の5位から2位になった。同年は巨人に目の前で優勝を決められ監督としては初の相手球団の胴上げを見ることになった。

1997年1月30日に妻と死別。

2001年、5位に終わった責任をとる形で辞任し、記者会見で、「成績不振が理由のすべてではない。初監督の時は5年、今回は6年目。同じ人間が長い間権力の座に座ることは、組織上好ましくない」などと述べた。

中日のオーナーを長く務めた加藤巳一郎からの全面的に信頼を受けていた。

著書の中で「私が怒る時は、常に本気で怒る。叱るときは全身で叱る。自らの本心を隠したり抑えたりできないのは、私の長所であり、また、短所でもあるが、少なくともスポーツマンの世界で発揚する理想だと考えている。時には怒鳴り上げ、壁を蹴り、灰皿を投げ付けて怒る。私くらい怒っていることが周囲に丸分かりの監督もいないだろう」と記している。

阪神監督時代

中日監督を退任した直後NHKから解説者としての打診を受けていたが[43]、2001年オフ、低迷が続いていた阪神タイガースの監督に就任。背番号は中日監督時代と同じ77。

星野をオーナーの久万俊二郎に推薦したのは前任監督の野村克也だという。著書によると野村は任期途中で自分では阪神再建は不可能と悟り、「負け癖のある今の状態の阪神を再建できるとすれば、熱血指導型の西本幸雄さんか星野だ」と考えていた。当時の阪神はOB会が強い権力を持ち、ベンチにも入って選手を勝手に指導したりする場面もあり、野村との確執があったともいう。星野もオーナーに直談判し、「ここまで低迷したのは、失礼ですがオーナー、全てあなたの責任ですよ」と発言した[47]。球団社長の野崎勝義も著書の中で星野新監督誕生させたのは野村克也さんの直言がキーワードになったと著書に記している[48]

しかしかねてから星野には高血圧症という持病があり、2002年のペナント開幕戦の対巨人戦では試合後に体調を崩しベンチ裏で記者を待たせ横になっていたことがあったり、2003年は野崎が覚えているだけで試合中4回倒れており、その都度島野ヘッドが敵陣にバレないよう指揮を執っていた[57]。7月27日の対中日戦では試合中に気分が悪くなり、1時間ほど指揮を島野に任せベンチ裏で横になっていたこともあった。どちらのときも平常時72から135までに安定している血圧値が165から210にまで上昇していたという[要出典]。

日本シリーズ前日、メディアで「星野監督、日本シリーズ終了後に勇退」と報じられ[要出典]、シリーズ終了後に「健康上の理由」で退任することを正式に発表した。後任には守備走塁コーチの岡田彰布が昇格[58]。

2010年に行われた阪神ファンが選ぶ阪神名監督というアンケートで2位岡田彰布に倍以上の差をつけ1位になっている[59]。

阪神監督退任後 

 2004年1月1日に阪神のオーナー付シニアディレクター(SD)に就任した。また、同年には兵庫県芸術文化協会より「県勢高揚功労」の表彰を受けた[60]。

2006年10月よりスタートした、日本テレビ系列のニュース番組『NEWS ZERO』のスペシャルコメンテーターへ就任。

北京五輪監督 

2007年1月25日、翌年にひかえた北京オリンピック野球日本代表の監督に就任。その翌日には「星野JAPAN」を自身の個人名義で商標登録出願した。「金メダル以外いらない」と公言して臨んだオリンピック本選では4位で、上位3チームには5戦全敗という結果に終わった。

楽天監督時代

2010年5月10日より、自ら初のラジオパーソナリティ番組『星野仙一の熱血・仙一夜』がMBSラジオにて放送される。

同年10月、東北楽天ゴールデンイーグルスが次期監督として交渉すると報じられ、同19日に阪神退団を発表[63]。その後、同27日に宮城県仙台市内で正式に楽天監督の就任会見を行った[64]。

2012年5月11日、対オリックス7回戦(京セラドーム)において、投手出身監督[69]、及び戦後生まれの監督としては初となる監督通算1000勝(876敗42分、2012年5月11日当時)を達成した[70][71]。2004年の王貞治以来、史上12人目の記録となった。ちなみに翌12日も勝利し、自身の名「仙一」と同じ1001勝目となった際、「おーっ、2000勝まであと999勝か」とコメントして報道陣を笑わせた[72]。

2013年9月26日の対西武戦(西武ドーム)で球団史上初のリーグ優勝を達成した。異なる3球団をリーグ優勝させた監督は三原脩、西本幸雄に続き史上3人目。セ・パ両リーグ優勝に導いた監督は三原脩、水原茂、広岡達郎、野村克也、王貞治に続き史上6人目、2013年の巨人との日本シリーズでは4勝3敗で日本シリーズ制覇を達成し、楽天初と同時に自身初の日本一になった。66歳でのリーグ優勝と日本一は、2000年の長嶋茂雄を超えるプロ野球最年長優勝記録である。

2014年、5月26日に持病の腰痛が悪化、この日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)を休養。その後の検査で難病(=特定疾患)の一種である腰椎椎間板ヘルニアと胸椎黄色靱帯骨化症と診断され、翌27日、球団は星野の同日以降の休養を発表。その後手術を受け、無事に終了したことが6月17日球団から発表されている[78]。

9月18日に今季限りでの監督退任を発表。

楽天監督退任後 

2014年11月9日、楽天のシニアアドバイザー就任が発表された[86]。

2015年9月、株式会社楽天野球団取締役副会長に就任[87]。

2017年1月16日、2017年度野球殿堂顕彰者(エキスパート表彰)に選出された[88]。

2016年7月に急性膵炎を発症した際に膵臓癌が発覚。しかし星野の強い意向で病のことをは一切公にはされなかった。2017年12月には自身の野球殿堂入りを祝う会に出席していたが、その後体調が悪化し、2018年1月4日午前5時25分に死去。同月6日に楽天球団から正式に訃報が発表された[89][1]。70歳没。楽天球団は、突然の訃報となったのは星野の意向であったこと、人前で強気であることを貫いた「星野仙一」のスタイルを最後まで全うしようとした結果であるとして理解を求めた。楽天球団によると、葬儀はこちらも星野の遺志で密葬とされ、後日お別れの会を予定しているという[1]。

●人物

愛称は「仙ちゃん」「仙さん」など。

ボランティア活動に熱心で、選手には「人生の1%をボランティアに捧げ」と説いている。実際自身は毎年のように地元岡山の障害者施設に寄付を行っている。

「今の若い者は」という言い方を嫌い、「今の若い者には若い者の良さがある。今の選手には今の選手なりの接し方があるんだよ」と述べている[91]。

●監督として

監督としては「闘将」「燃える男」の異名を持つなど、熱血漢として知られ、時には「鉄拳制裁」と称して選手を殴るなど、指導のためには暴力を用いることも辞さなかった。

良い監督の条件を「担当記者との緊密なコミュニケーション」としており[92]、番記者との朝食会・昼食会を頻繁に行い、コーヒーやオムライスなどを振舞いながら長時間雑談するのを常にしていた[93]。週刊誌AERAは「マスコミを味方に付けた状況判断と手際のよさは天才的」と評し、工藤健策は「プロ野球史上最高の『名優』」と評する[94]。

星野曰く「ワシはな、何と言うか完成されたチームを任されるのはいやなんや。中日時代もそうやった。戦力を整備して、チームを立て直す。これに快感を覚えるんや」とのこと[96]。

●親族

父・仙蔵は1898年に、兵庫県神戸市生まれ、岡山県邑久郡長船町(現・瀬戸内市)出身。父は仙一が母の胎内で7カ月の頃の10月に48歳で亡くなっている。

母・敏子は1912年に、星野嘉市(仙一の外祖父)の娘として、愛知県幡豆郡に生まれ豊橋市で育ち、生後間もなく母のまきを失くし、父とともに上京して浅草の紙問屋の娘となった。仙蔵が亡くなった後の敏子は三菱重工水島工場(のちに三菱自動車水島工場)の寮母として働く傍ら、仙一と2人の姉を育てた。

星野仙一の子供は娘が2人いる[114]。亡妻の扶沙子は慶應義塾大学卒。

●交友関係 

●野球関係では、中日時代の先輩にあたる板東英二、大学時代の同級生である田淵幸一・山本浩二などとの親交が有名。 

●歌手の小田和正とは現役時代から[117]30年来の友人で「仙ちゃん」、「和正」と呼ぶ仲で星野が楽天監督時代の2013年4月2日の本拠地開幕戦(対オリックス戦)では小田が始球式を務めたり[11]、笑っていいとも!のテレフォンショッキングでは小田からの紹介で1984年2月15日に出演した。

●元三井住友FG・日本郵政社長の西川善文、ファッションデザイナーのコシノヒロコなどと交友がある。星野の大阪後援会では西川が会長、コシノが副会長(婦人部部長)を務めている。

星野仙一 - Wikipedia

 星野監督は、野球界だけでなく芸能界にも通じる方だったのですね。 星野監督のおかげで野球界を知った日本国民も多かったのではないでしょうか。多分野でのご活躍、本当にありがとうございました。

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【星野仙一監督すい臓癌で死去】すい臓癌とは?

 「すい臓癌」について調べてみました。

闘将・星野仙一監督が闘った「膵臓がん」は、こんなに怖い!(柳田絵美衣) - 個人 - Yahoo!ニュース

●膵癌(すいがん、英: Pancreatic cancer)は、膵臓から発生した癌腫。膵臓癌(すいぞうがん)とも呼ぶ。早期発見が非常に困難な上に進行が早く、きわめて予後は悪い。

●自覚症状としては腹痛や体重減少等があるが特異的な症状はなく、早期の場合はほとんどは無症状で、多くは進行してから発見されることが多い。人間ドックや、たまたまCTや超音波検査等の画像検査によって偶然発見される以外では、膵鉤部・膵頭部癌では、腫瘍が総胆管を閉塞して黄疸を生じたり、酸素欠乏によるランゲルハンス島の活動低下により糖尿病が悪化したり、心当たりが無いのに血糖値やアミラーゼ値が上昇する等という形を呈することがある。

●外科的切除が唯一の根治治療であるが、発見時には進行していることが多く、手術不能の場合が多い。

●膵癌の予後は非常に悪い。5年生存率は部位別がんのなかで最下位(5%)であり、治療がきわめて困難な癌の一つである。

 星野監督は 2016年7月に急性すい炎を発症したことをきっかけに、すい臓がんを患っていることがわかったとのこと。不幸中の幸いですい臓がんを発見したにも関わらず、克服できなかったのですね。。。

 

【星野仙一監督すい臓癌で死去】癌を患った芸能人一覧

①「すい臓癌」で亡くなった方(有名人)を調べてみました。

◆坂東三津五郎/2015年2月21日(満59歳没)/すい臓癌
2013年8月、膵臓に腫瘍が判明し手術・治療のため入院。2015年2月21日、膵臓癌の治療を続けていたが59歳で死去。
坂東三津五郎 (10代目) - Wikipedia

◆竹田圭吾/2016年1月10日(満51歳没)/膵臓がん

2015年9月27日、コメンテーターとして出演するフジテレビ系の情報番組『Mr.サンデー』において、自らががん治療中でかつらを着用していることを告白した。2016年1月10日、膵臓がんにより死去。51歳没。
竹田圭吾 - Wikipedia

 

◆千代の富士貢/2016年7月31日(満61歳)/すい臓癌

それから1か月経過後の2015年7月12日、7月場所初日に「内臓疾患により3週間の加療入院」の診断書を提出し、同場所を全休した。翌9月場所初日の復帰時に、初期の膵臓癌が発覚し手術を受けたことを公表した。2016年7月31日午後4時頃、東京大学附属病院で死去。61歳没。
千代の富士貢 - Wikipedia

 満59歳、満51歳、満61歳と皆さんお若いですね。すい臓癌、怖いです。

 

②近年死因が「癌」の訃報に触れる機会が多いように感じ、調べてみました。

 すると、こんなサイトが↓↓

tsunagitradeconsulting.com

 癌急増中の現代。日頃の食生活や生活習慣を見直して健康維持に努めたいです。

 

www.asacoromo.com

 

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